SPECIAL~特集

特集2.会話分析から相互的な心に迫る(終)透明な心、不透明な心 談 西阪 仰

 
  <<< HOME  
 

本人の記述にこだわる

 会話分析は何気ない日常会話の記述にこだわります。たとえば哲学者、宗教家たちが心や社会についていろいろな言い方をしていますが、それはやはり彼らの主張の中での話です。会話分析では、その会話の当事者たちがその場でどのように自分たちの振る舞いをとらえ、表現しているかにあくまで照準していきます。そういう意味で、本当は、近代とは何かというような大きな話には逆につながりにくいのです。
 会話分析の結論として、たとえば「心は社会的だ」というのはわかりやすいといえばわかりやすいのですが、私たちの研究の目的はそういう理論に到達することではありません。会話の分析を重ねていく中で、心や社会について今まで見失っていたようなものが見えてくることを期待しているわけです。

普遍的な議論を放棄する

 そうした会話分析の積み重ねの後に何が来るかというのは難しい質問です。ひとつは、そのつどの状況に入っていくというのが基本的な姿勢である以上は、普遍的な議論をすることは最初から放棄するという、ある意味で正直な答え方があります。
 たぶんほとんどの実験物理学者も同じではないでしょうか。会話分析の作業に一番近いのは実験物理学者の日々の研究行為かもしれません。
 そうした個々の実験が積み重なると、アインシュタインのような、実験もしたことがないような天才が突然、現れて、大理論をたててしまうというようなことが、もしかしたら社会学にもあるかもしれません。

通念を相対化したい

 現代社会で、犯罪や非行のような問題が起きたときに個人に閉ざされた問題として処理していくというのは、ある意味では管理社会の現れです。それが、会話分析によって、別の面から見えてくるということはあります。
 しかし、管理社会を正面から批判するのが私たちの仕事ではないですし、また、実際にしたくてもできないのですが、社会のもっている心に対する通念のようなものを相対化したいということはあります。といっても、そのことを実証するために会話分析を続けているわけではなく、あくまで会話の経験的な研究として続けていくことが使命だと考えています。<2005.11>

(談 にしざか あうぐ)

 
<<< (1)へ <<< (2)へ <<< (3)へ <<< この頁のTOP <<< HOME  
 
BACK NUMBER
 
サイトのご利用について