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小説の古典的な書き出しのパターンがいくつかあります。一つは、洋物の書き出しを見ていただくとはっきりわかります。たとえば、「1801年―たった今、家主を訪ねて帰ってきたところ―今後つき合いのありそうな隣人はあそこだ」(エミリー・ブロンテ『嵐が丘』河野一郎訳)というふうに、一般論といいますか、状況の全体的な説明から入る書き出しです。
個人の来歴を語るにしても、「22歳で、ちょうどゲッチンゲンの大学の課程を終えたばかりのところだった」(バンジャマン・コンスタン『アドルフ』新庄嘉章訳)とか、バルザックの場合では、「ヴォケー夫人、旧姓ド・コンフラン、は40年前からパリで下宿屋を開いている老婦人で、彼女のその下宿は、カルチエ・ラタンとサン=マルソー地区の間にあるヌーヴ=サント=ジュヌヴィエーヴ街に位置している」(『ゴリオ爺さん』平岡篤頼訳)とか。
つまり、地理的、歴史的な状況などから、一般的に書き始めるというのが、まず一つの方法です。これは西欧の長編小説の書き始めのパターンとしては、一般的だと思います。西欧の小説は、日本の短編とは違って、ロマン・物語といった場合に、長編を指します。長編小説の場合には、最初に全体の状況、歴史的な状況、個人に関しても、歴史とその人が置かれた状況、空間的な状況を、ちょっと退屈なのですが、ともかく初めに説明しておくことが多いのです。
読者は、その説明に耐えるわけです。今と違って、バルザックが活躍した19世紀の前半などは、時代がゆったりしているということもありますし、もう一つは、割合に長めの新聞連載が多かったことも関係しています。連載で読むわけですから、いっぺんに全部読んでしまうとか、最後まで読み通さなきゃいけないというような読み方ではなかったのです。その当時、娯楽もあまりない人たちが、連載の一回分を、割に長めだけれども、ともかく読む。それが娯楽だったわけですから、作家も、戦略的にそういうゆったりとした書き方ができるようになっていたのです。その意味では、むしろ書き出しよりも、次につなぐ方が、作家にとっては重要だったかもしれません。人を驚かすような書き出しとか、ぱっと引きずり込むような書き出しは、あまり必要なかったのではないでしょうか。
なおかつ、本になった場合でも高価ですから買える人は限られていて、貸本が多かったのです。その貸本というのも、一冊全部貸してしまうと、次の人が借りられないので、分冊形式にして貸したりしてたわけです。そういう出版メディアの発達の状況や、新聞連載だったということがあったので、フランスでは人気のあった正統的なバルザックとかデュマのような人たちの書き出しに関する意識は、それほど強くなかったと思います。

伝統的な西欧ロマンの書き出しのもうひとつの特徴は、時間、歴史意識です。ノーベル文学賞を受賞したコロンビアの作家ガルシア・マルケスも、明らかに西欧的な小説の伝統の上に立っています。描写の点では、マジックリアリズム、細部にわたってしつこく書くとか、あるいは、異常な人物が出てきて、グロテスクであったり、魔術的であったり、いかにもラテンアメリカの、とても普通では理解できない話が語られてはいるのですが、少なくとも、『百年の孤独』の書き出しは、これはもう、優れて西洋のロマンです。
つまり、「長い歳月がすぎて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見にいった、遠い昔のあの午後を思い出したにちがいない」(鼓 直 旧訳)、というのは、ある時間、行為を切断しているように思えるのですが、物語のまっただ中に引き込んでいるわけではなくて「長い歳月がすぎて」というふうに、すでに時間の流れが前提になっているんですね。
だから日本の小説の場合のように、物語の時間と同調して、そこから先へ行くよというのではなく、もうすでに長い時間が前提としてあって、その中に人間の動きもあるのです。これはもう、とてつもなく長い時間を前提とするロマンの世界です。というより、叙事詩の世界ですね。
『ママ・グランデの葬儀』、これは短い作品ですね。「列車が、地響きを立てる朱色の岩の区間を出て、涯しなく続く均斉のとれたバナナ園に入ると、空気は湿っぽくなり、海からの微風はもう感じられなかった」(桑名一博、安藤哲行 訳)。これも、「列車が」と始まることで、状況説明をゆったりとして、少し空間の広がりと、これから物語が始まるよという暗示、つまり、物語そのもののただ中にいくわけじゃないですね。物語の始まりの予兆を、悠然と醸し出しているという点では、やはりロマンの書き方です。
それから『悪い時』。「アンヘル神父はやっとの思いでおもむろに起き上がった。手の甲で瞼をこすり、レースの蚊帳を開くと、むき出しのマットレスに腰かけたまましばらく物思いにふけっていたが、それは自分が生きていることを確認するのに、そして、その日が何月何日で、どの聖人の日に当っているのかを思い出すのにどうしても必要な時間であったのだ」(高見 英一訳)。ある人物の行為が描かれていますが、この行為の中にも時間が流れていますね。つまり、「しばらく物思いにふけっていた」とか、「自分が生きていることを確認する」とか、「何月何日で」、「どの聖人の日」とか、「思い出す」とか、最後には「時間」という言葉がはっきり出ています。原文ではどうかわかりませんが。ある長い時間の中で、その人が置かれている位置のようなものを、書き出しの中ではっきりと出していて、こういう時間意識というのは、日本の作家には書けないですね。
たとえば梶井基次郎。作品が少ないこともありますが、彼にはマルケスのような書き出しは、絶対書けなかったでしょう。彼の場合は、その瞬間、一発芸。そのかわり、短詩型の、この上なく見事な散文詩です。たとえば、『冬の日』の冒頭、「季節は冬至に間もなかった。尭の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている木々の葉が、一日ごと剥がれてゆく様が見えた」。
書き出しに時間が流れるか流れないかということは、重要なファクターになると思いますが、少なくとも梶井基次郎の時間の停滞と、ガルシア・マルケスの時間の流れ方というのは、冒頭のたった数行を読んでも、もう明らかです。
といってもガルシア・マルケス、あるいはアメリカのフォークナーも、時間意識はあるにしても、いわゆるヨーロッパの古典的なロマンの小説とはちょっと違う書き方をしています。ここがやはり時代の変遷かもしれません。
作家というのは、小説の歴史を引き受けながら書こうとしているわけです。昔の正統的なロマンが、直線的な時間の流れを信じていたとするならば、フォークナーはもうそうした時間を信じていないですね。時間は自在にひっくり返されるし、同じ時間を生きていたように見えても、ある人にとってはこういう時間が流れているのに、別の人の時間はこうだったというふうに、ニュートラルな一つの時間ではなくて、時間が断片化しています。だから同じ事件を、違う人が語るようなことが出てきます。時間は確かに流れるのですが、一様な時間が流れているわけではない、そういうことがフォークナーの作品ではいえると思います。
ガルシア・マルケスの場合は、フォークナー的な仕掛けというのは、それほどはないのですが、もっと堂々と、神話を語っているという気がします。ガルシア・マルケスは、みなさん言うことですが、近代的な時間を超えたところで、まさに100年単位、そういう独特の時間を描いています。つまり時間というのは、そう簡単に流れないぞという、ある時はもう100年単位で流れるが、人間が生きている何十年間ではそんなに流れないよという感じがあるかもしれないですね。それをたぶん我々は、「時間が消えてしまった神話」と呼ぶのかもしれません。それをマルケスは書きたかった、あるいは、書いた結果出て来てしまったといったらいいのでしょうか。
西欧のロマンという時間を扱う芸術では、最初で全てネタが割れるようなものでは、とてもその後、こらえきれないわけです。そんなふうに主題が簡単に出せるのであれば、長い小説を書く必要がないということも、一方ではいえるんじゃないでしょうか。ですから、どんなに短い小説でも、冒頭に置かれた主人公と、小説の時間をくぐり抜けた後の主人公が、なにか変わっているという印象を与えてくれないと、小説としてはだめだと思うのです。だからといって小説は全部計算して作ってしまうと、自然な時間が流れないんですね。小説の中の時間の流れは、計算では生み出せません。文章を具体的に書いていく手応えの中で、時間が言葉の中に造形されていくのではないでしょうか。

西欧のロマンに対して、日本の古典的な小説では、書き出しは重要視されています。特に、明治から大正にかけての日本では、芥川龍之介などが最も人気のあった小説家であることでわかるように、いかに短編をうまく書くかという技術を精練してきたわけです。ですから、ヨーロッパ的な長編小説としてのロマンと違って、日本の短編の、最初の一行から最後の一行に至るまでびしっと決めて落とすという技術は、日本の方が、洗練の度合いや、作家の意識の度合いが、高かったのではないかという気がします。
たとえば、短編ではないのですが夏目漱石の『明暗』と、短編の川端康成の『伊豆の踊り子』を見てみますと、これは両方とも主人公が置かれている状況を、まずとりあえず切断して見せるという書き出しです。つまり、前置きがあるわけでもないし、そのあとの状況がわかるわけでもないのに、いきなり事件のまっただ中に引きずりこむという書き出しです。
「医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下ろした」。
すごいのは、この『明暗』の書き出しです。「医者は探りを入れた後で」というのは、初めは誰に探りを入れているのかもわからないわけです。それで、「手術台の上から津田を下ろした」というわけですから。そういう、有無をいわさず、いきなり事件の中に引っ張りこんでしまうという手法です。
漱石は新聞小説の天才だったわけですが、日本の新聞小説というのは、西洋に比べると、1回分が短いのです。短いところで1回ずつ読者を引っ張らなければならないというのは、非常につらいのですが、漱石はこの第1回目で、ともかくこういうことが起こっているのだから読みなさいよ、何でこうなったか知りたいでしょうと、読者をうまくひっかけています。また、典型的なのは、医者を出すことによって、すでに病気は何かという謎が提起されていますね。一行目でまず出来事のまっただ中に引きずりこみ、なおかつドラマティックな謎を提起しているという点では、ほとんど名人芸です。
少なくとも、漱石の代表作の書き出しを見る限りでは、有無をいわさず新聞読者を引っ張るというところが見えます。1回目分ぐらいでは、まだ大したことがわからないですから、引っ張って次につないでます。漱石は、考えに考えて計算して書いていると思います。以下、いくつか彼の作品の冒頭です。
「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない」(『こころ』)。
「梅田の停車場を下りるや否や自分は母から云い付けられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼が果して母の何に当るかを知らずに唯疎い親類とばかり覚えてゐた」(『行人』)。
漱石も物語全体の、大まかな計算はできているでしょうが、その瞬間瞬間のあんばいは、やはりアドリブだと思います。全体の構想、計算はあるでしょうが、その計算と即興のかねあいのうまい人が、いい小説を書くということになるのではないでしょうか。即興だけでも息が切れてしまうし、計算だけでも意外性が出てこないので退屈してしまいます。
『伊豆の踊り子』の場合も、書き出しは圧倒的にアクションの積み重ねで、ただただ物語の中に読者を引っ張りこんでいきます。「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さでふもとから私を追って来た」。まるで映画を見ているようですね。つづら折りの道を俯瞰のロングショット、主人公の主観的なビジョンに従って道を登っていく場面、次に固定ショットで杉の密林にさあーっと白い雨足がかかる。この冒頭の描写は見事なものです。日本語の達人です。
書き出しで、必ず読者の心を初めからつかまなければいけないということはないのですが、日本の小説は比較的、計算高く始めていることが多いですね。ともかく、まず事件を始めてしまって、状況説明なら後でもいいじゃないかということです。初めに長々と状況を説明するというのは、日本の作家ではあまりありません。
これはやはり、日本人の心性みたいなものにもかかわってくるのでしょうか。短編向きと長編向きということを、単に日本人と西洋人の体力の違いなどといってしまうとつまらないのですが、俳句、短詩型を好む国民的なメンタリティと、詩でも、たとえばホメロスのように全編を長編詩で語るという、そういうリズムの強靱さ、息の長さを持つ国民とでは、同じ小説の概念でも、本質的に取り入れ方が違うような気がします。小説の書き出しも、いわば国民性に対応しているわけです。<2002.01>
(中)「大江健三郎と村上春樹」へ続く
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