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福永 幹彦 関西医科大学 関西医科大学心療内科講師。1955年生まれ。著書に『日本消化性潰瘍学』(医科学出版社)『よくわかる心療内科』(金原出版)『胃の炎症学』(メディカルレビュー)がある(いずれも分担執筆)。現在の研究テーマは、1)心身医学、2)医療行動科学、3)医学教育。
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田原 孝 国立肥前療養所 国立肥前療養所医療情報室長精神科医長。1943年生まれ。現在の研究テーマは、1)カオスや複雑系、2)医療評価・医療経済、3)医療情報システム・看護情報システムの構築と運用。
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<田原>
まず最初にカオスの定義をはっきりさせておきましょう。このシリーズを読んでおられる方はもう明確に認識しておられるかもしれませんが、一般社会ではまだまだ、カオスというと、無秩序、乱雑、混乱といったイメージを抱きがちだと思いますからね。今日のテーマは「生体とカオス」「医療とカオス」ですから、とりわけ、そのあたりを明確にしておきませんと・・・(笑)。
カオスの明確な定義はまだありませんが、複雑系の科学におけるカオス、私たちが今、医療の現場で取り組んでいるカオスとは、将来の予測がある意味で不確定となる現象の総称です。不確実な過程を扱うひとつの方法として確率がありますが、カオスとは確率でとらえることができない現象です。もっと正確には、現象がたとえ偶然的な要素を全く含まない決定論的な規則に従っていても、ある超準的な構造のため、結果が必ずしも決定可能とならず予測不可能になります。このようなカオスは宇宙や世界や生体や脳のいたるところでみられる普遍的なものであることがわかってきました。生体の場合、運動系のメカニカルなシステムから、循環系、中枢神経系、免疫系、その他さまざまなシステムがからみあった複雑な系であることはいうまでもありません。しかし、従来の医学では、身体は複雑ではあっても不規則なものだとは見なされていませんでした。心臓の鼓動や脳波、睡眠のパターンなど、生体は一定のリズム、規則性に基づいて定常的に活動している、すなわち「ホメオスタシス」の状態であり、これが失われた時がすなわち不健康な状態であるというふうにとらえられてきた。しかし、私たちがカオス的見地から研究を進めてきた結果、実は、これはまったく逆であることが明らかになってきたのです。
カオスのパターンを見ると、人間の身体のリズムは決して機械のように単調ではない。健康な時も常に、ある幅を持ってゆらいでいる。というより、健康な時ほどこのゆらぎが大きくて、逆に何らかの障害が起こった時に単純で規則的なリズムを刻むようになるんです。
最初にこの事実を発見したときにはたいへん驚きましたけれどね。というのも、私はもともとカオスなどということはまったく念頭になくて、健康の自己管理モデルを作っていたんですが、データ量だけは増えていく一方で、健康や診療の全体像は一向に見えてこない。東洋医学を取り入れてみたり、ホロンの考え方を学んでみたりしたんですけれど、概念的には分かっても、どうも方法論になっていかない。そんな時に、カオス研究で有名な北海道大学の津田一郎先生との出会いがあったんです。津田先生は独自のカオス研究を行なっておられた方だから、「津田先生、脈波だけど、これ、カオスにならない?」といった話をして、しかし、先生いわく「なるわけないじゃないか」(笑)。それからいろいろ試行錯誤して、実に見事にきれいなカオスが出てきた。
これが私とカオスとの出会いです。カオスをやろうと思って始めたわけではなくて、また、カオスを医療に利用しようと思ってやったわけでもなくて、ミクロな臨床の現場から、それをもう少しマクロな中間レベルまで対象化しようという時に、カオスとの出会いがあったということですね。現場の医療に立ち会ってきて、患者との関係において何が必要かを考え続けてきたなかで、概念と方法論の行き着いたところがカオスであった、と。臨床の場に実にぴったりと適合して、しかもちゃんとデータが出る(笑)。その後、研究を進めてきて、時系列的に測定しうる生体のデータはすべてカオスになるということが分かってきました。こうして、健康な生体はカオスにあふれている、規則性とは裏腹の大きなゆらぎに満ちているという、従来の考え方とは正反対と言っていい大きなところに行き着いたわけです。
<福永>
ぼくの場合は、田原先生のようにデータを取って解析するという段階までは至っていないのですが、複雑系の理論、カオスとの出会いは、まったく同じように臨床の場の必要性に発したものでした。
現在は心療内科で、主として心因性の消化器疾患を扱っていますが、もともとはごく普通の内科医をやっていました。その駆け出しの内科医時代、例えば外来におじいちゃん、おばあちゃんがやってきて、点滴をしてくれと言うんですね。ぼくは、点滴は水であるという大学で学んだ知識をもとに、そんなものは医療費の無駄遣いだと思っていたから「点滴なんて効かないよ、スポーツドリンクを飲んでも同じなんだから点滴する必要はないよ」と説得に当たるんだけれど、そうすると患者さんはすごく怒るんです。これまでやってきて効いているのに、なぜ効かないなんていうんだ、って(笑)。そんなことが何度も続きました。それから、初めて外来に来られる患者さんは、たいていどこかが痛いということを言われる。例えば「お腹が痛い」「じゃ、胃カメラを撮りましょう」と言って検査するとたいしたことない。この場合、胃炎はよくあることだから、胃炎の薬を出す。すると次に来られた時に「先生、よくなるどころか、ますます悪くなりました」(笑)。
自分としては、医学部でもちゃんと勉強したし、それなりにできると思っている時期ですから、全然よくならないといわれて、患者さんはもちろんですけれど、こちらも腹が立って、何だかほとんどケンカばかりしていたような時期がありました。そのうちに、ぼくのやり方がおかしいにちがいない、あるいは今の医学そのものがおかしいのかもしれないと考えるようになりました。そんな時にたまたま、当時勤務していた市中病院の院長先生から心身医学の話を聞いて、そして何冊も本を読んだ結果、ぜひとも心身医学をやってみたいと思うようになったんです。これが、今の領域に足を踏み入れることになったきっかけです。病気とか不健康な状態というのは多かれ少なかれ、心と密接にかかわっています。先の例でいうと、点滴が効くというおじいちゃんはプラセボ(偽薬)効果だったのかもしれません。私のような態度は、科学的であろうとする若い医師がとりがちですが、現実には、点滴という医療行為はきわめて有効なことが多いのです。でも、だからといって、それじゃ点滴しましょうですませてしまってもいけないと思うし、それですませているのが今の医療ですよね。要するに、効けばいいんだ、という・・・。一方、お腹が痛いといっていた患者さんは機能性の病態(調子がくずれている)に、心理的な因子がからんでいたのかもしれないのだけれど、その場合、現在の普通の内科では、ほとんど対処できないというのが現状です。
現在の医学は、病気とは身体のどこか一定の部分が不調になって起こるのだという要素還元論の上に立って診断と治療が行われているわけですが、これでは心身医学領域の疾患はまったく治せません。というより、ぼくが心身医学に携わり始めて、さらに強く思うようになったのが、あらゆる領域の医学において、原因―結果の因果論でとらえる従来の方法では、本質的な意味での診断治療行為はできないのではないかということでした。これまでとはまったく違うアプローチが求められている、と。そこで、行き着いたのが複雑系の理論だったというわけです。
細分化、単純化からシンプルな公式を引き出すことが従来の科学、医学の方法であったとすれば、新しい方法は現実の場面で起こっている現象そのものをとらえようとする姿勢だと思います。その意味で、複雑系の理論は、これからのぼくの診断、治療行為に根底的な基盤を与えてくれるものだと考えています。今のところはまだ、具体的な方法論を確立するところまではいっていなくて、いろいろな論文や報告を読んで、それを診断、治療の実際と突き合わせながら、手探りしている状態ですけれど――そういえば一度、田原先生の講演も聞きにいったことがあるんですよ。
でも、先生もおっしゃったとおり、複雑系の理論に基づいた生体のとらえ方は、従来の医学とは正反対の極にあるものですね。これは、医学における決定的なパラダイムシフトといっていいんではないでしょうか。
<田原>
そうですね。私は今、医療と看護というものを完全に分けて考えています。従来の医療というのは、福永先生がおっしゃったとおり、要素還元的で、臓器に故障がなければ健康であるというパラダイムのうちにある。一方、看護の方は歴史的にはずっと古くて、むろん、病を治すのが根底にありますが、かなりの部分を自然治癒力に期待する。と同時に、基本的には、臓器の障害のない完全な健康を目指すのではなく、健康や不健康の管理には、障害の身体的、精神・心理的な側面だけではなく、本人のライフスタイルや個性、人生観の変化をも扱い、それに従って、日常生活が本人なりにスムースに進む、自分なりの生活がうまくできればいいという考え方に立っている。この医療と看護のパラダイムは実はあまり相性のいいものではないんですよ。
私は今、医療という大きな枠のなかに看護があるのではなくて、看護という枠のなかに医療を位置づけようというふうに考えています。ですから、私のやっていることは、医療のパラダイムでいうと従来のものとは決定的に異なりますけれど、看護のパラダイムをも含めて考えると本質的にはそう違っていない。ただ、私たちが提示したカオスの理論、データによって、一般的な健康の概念が少しずつ変わり始めたようには思いますね。そして、健康概念が変わり始めたということはすなわち、医療も含めての、新しい方向性が生まれてきたということを示してもいます。